「イチトくんは誕生日ってどう祝われたい?」
 唐突に切り出した運転手の言葉に、イチトは助手席の窓の外の眺めから相棒の横顔に視線を移した。その結果、窓の外に姿を見せた怪異と目が合わずに済んだのは最初の僥倖と言えようか。
「”どう”って……まさか、祝ってくれるのか?」
 冗談めかして返せばシガヤは前方を見たままフフンと笑う。イチトの方を見なかったことで助手席側の窓に張り付く怪異を見ずに済んだのはまた別の吉報だろう。
「オレ、お祝いごとが好きな性質なの。でも回収員メンバーってみんな誕生日おっせぇじゃん?」
「ああ、シガさんとは開きがあるな。俺が10月、スグリは11月でハバキは12月……」
「ええーなになにこわい、なんでプロフィールがすらすら出てくんの!?」
「ヤマさんは2月だ」
「お詳しすぎる……」
「シガさんは4月生まれ、牡羊座のO型だ」
「占いでもはじまんの!?」
 ツッコミを入れたと同時に軽トラックがガタンと大きく揺れたがふたりは意に介さない。荷台に”魔神”の死体を載せているとこういうことは、こういうことが日常茶飯事だ。
「こういうことは覚えていて損はないからな」
「異界区分は覚えないくせに……」
 イチトもシガヤもフロントガラス越しに道の先を見る。田圃道は続いていて、夕暮れのモルグ市はどこか物悲しい。秋も深まりずいぶんと寂しい色の空が広がる。
「そういうことはシガさんが覚えててくれてるから」
「そこ他人頼みだといつか死ぬヨ」
 吐き捨てるように告げるシガヤの眉間にしわが寄った。イチトがシガヤの口にそっとじゃがりこを運ぶと眉間のしわはすぐに緩んだ。
「てか話が逸れる、無限に逸れていく……誕生日、誕生日の話してんの! イチトくんの!」
「ふふ、祝ってくれるその気持ちが嬉しいぞ」
 鼻先で笑うイチトが今度こそ自身の左側、助手席側の窓に目を向ける。車内を覗き込む虚無の巨大眼と目があうもイチトは元から正気の薄い茶に焼けた目で見返し「これはたしかTa型」と独りごちた。
「え!? 魔神いる!?」
「Kh型がいいんだっけか」
「バカバカ逆ゥ! それはKh型が負けちゃうヤツ! こういう時はOz型だって!」
 言いながらシガヤは軽トラックのアクセルを強く踏んだ。加速に負けてカラカラ…カラカラ…と乾いた音が遠ざかっていく。
「まいたのか。回収しなくてよかったのか?」
「憑子型は死体ないことが多いし、そもそも積荷が重いし」
「ではまた明日殺しにいくか」
「ほかに急務がなければねー……ああもうまた! 祝いプランをね! たてたいんだヨ! オレは、イチトくんの!」
「ありがたいが、どうしてそんなに必死なってくれるんだ。オレはお祝いの気持ちだけでも喜べる男だぞ」
「コスパ良いのは何よりだけどォ。オレは売っときたいんだヨ、恩を」
 シガヤは唇を尖らせる。周囲が暗くなってきたのでフロントライトを点灯させた。退魔の波長を出す灯りであるため積荷の死体に群がっていた魔神の手先たちは残らず消滅する。
 イチトは、シガヤのその顔が一種の照れ隠しだと知っている。彼と密に関わり始めて半年、そういう心が掴めるくらいには理解が進んだ。
「では存分に売ってもらおうじゃないか」
 イチトはスマートフォンを取り出すとモルグ市内のカフェ情報を探しはじめる。イチトはそうでもないが、シガヤは何かと忙しいひとだ。それはシガヤの回収員と研究員兼務という役割の他に、エンタメ趣味に勤しむあまりゲームにマンガにドラマに映画に文芸作品にと……つまるところ余暇のすべてに「予約済み」の札が掲げられているようなものなのだ。相棒のことを思えば「誕生日プレゼントを選んで欲しい」などとてもイチトから言う気になれず、であれば指定してしまうのが善だろう。それも簡単に手が届く、極めてお気軽なお祝いがいい。
「そうだ、駅前に新しいカフェができてたな。夏に潰れた店舗の……」
「家族の話」
 イチトの提案をシガヤが遮る。キーワードしか与えられなかったのでイチトは瞠目のちシガヤの言葉を待った。
「……イチトくんの家族の話。聞いたげよっか。最後まで」
「いいのか」
 シガヤの想像以上に、そしてイチトにとっても自身が思ったよりも嬉しさが滲んだ声だった。
「いいよォ。だってサ、オレたちいつもその手の話を聞くの嫌がるし、途中で遮ったりするし……」
「神妙な顔をして話を聞くみんなも俺は好きだぞ」
「エ!? お前さんわざとなの!?」
「シガさん前見ろ」
「うわー鹿だ! あぶない!」
 急ブレーキをかけるがこんな場所に鹿などいるわけがなく、シガヤはイチトの顔を見る。イチトは「大丈夫」とだけ答えて何もしない、言わない。荷台で魔神の死体が崩れはじめる音が聞こえる。幕ひとつ隔てた向こうの世界のように遠く、かすかに。
 何かとぶつかる事故を避けた軽トラックは再びゆっくり走り出す。高齢化の進む古びた住宅街はすっかり夕闇に飲み込まれていて、電信柱の豆電球は心許ない。学校から、職場から、買い出しから家へと帰る人々が影法師のように見える黄昏時。
「と、とにかく。イチトくんの気が済むまで聞いてあげる。どんな楽しい思い出でも、暗い思い出でもいいから」
「そんなに俺に尽くしてくれるとは感激だ」
「んえぇ、これってそんなに重い行為なわけ……」
「だって嫌だろう」
「他人の家族の話を聞いて喜ぶ人間の方が少ないよ。ライター職くらいじゃないの」
 オレにライティングの才能はありません、とシガヤは軽トラックの速度を落とした。黄色い帽子をかぶった小学生の一団がトラックの横を並んで歩く。逆背の順で連なっているのか小さい子がしんがりで、先に進むほど背丈は高くなり先頭の子は2m。
「ん?」
「シガさん前見ろ」
「じゃあイチトくんが代わりにあの下校中の小学生たち見て!!」
「小学生がこの時間に下校するものか」
「じゃあアレはなに!?」
「シガさんは前だけ見ていればいい」
「怖〜、これだから回収帰りっていやなんだよなぁ……」
 バックミラーから下がったお守りがゆらゆら揺れる。交通安全と厄除けの2種類。それを人差し指で突いて揺らしながらイチトは話す。
「それなら俺の誕生日、仕事帰りにシガさんちに行っていいか」
「げぇ、オレの家でやるの。別にいーけど、あんまり片付ける気はないよ」
「ケーキ買っていく」
「自分のお祝いの? そんなら外で食べてからうち来ようよ。さっき言ってたカフェ行こう」
「そんなに盛大に祝ってくれるのか!」
「いちいち喜びすぎなんだよ。てかイチトくんルームシェアしてたっけ。同居の子はいいの?」
「あいつには、俺の家族の話はあまり聞かせたくないんだ」
「ふーん」
「魔神絡みの話題を嫌うからな」
「その手のを好まない人間の方がよっぽど好感度高いよ。今の世の中じゃね」
 住宅街を抜けて大通りに出る。ここから博物館まではそう遠くはない。車通りはふたりの進む車線はめっぽう空いていた。反対車線は霊柩車で渋滞しているというのに。
「でも本当にいいのかシガさん」
「腹括ったんだからあんまり揺らがせないでヨ……」
「俺は家族の『楽しかった』話をするぞ。いいのか?」
 血のように真っ赤な赤信号。シガヤは減速しきってからイチトを見る。道沿いの店舗の光がイチトの眼に反射して、瞳の色をわからなくさせる。
「ああ……」
 笑って茶化そうとしたのにシガヤにはできなかった。納得したような声をこぼしてしまう。イチトはシガヤの両親と会っている。噛み合わない、歪な真道家を知っている。
「オレ、これからめちゃくちゃ意地悪なこと言うネ」
 シガヤは好んで人に嫌われるような言動を取る。本当は誰かに好かれたいけど、そんな資格はシガヤに無い。
「どんなに幸せな家庭だって、魔神の手に掛かればあっという間に破壊されるってのがわかるから。別にいい」
 冷たいトゲトゲした言葉。少し前のイチトならその言葉の表面的な肌触りの悪さに気を取られて口ごたえをしていただろう。でも幾つもの夜を臨んで彼を知ったから。
「そうだな。だからこそドアーはすべて塞がねばならんな」
「ええ……今のやりとりで奮起できるわけ? イチトくんって感性わりとズレてるよネ……」
 シガヤの呆れ笑いが対向車線のライトに照らされる。今この瞬間を切り取るスポットライトとなる。
「シガさんのおかげでズレたようなものだ」
「なんでオレのせいにすんの!」
「シガさん前見ろ」
「うわ青信号になってる!」
 いつの間にか自分たち以外は走っていない道路を駆け抜け、軽トラは無事にモルグ市魔神博物館に到着する。
「あー、誕生日、お泊まりセット忘れんなよ。寝巻きとか貸さないからネ」
「どうせならそれを誕生日プレゼントに頼んでも良かったな」
「そんならモコモコかわいい寝巻きを用意してあげるネ」
「それ系は値段が高いってフツカが言ってたな……」
 結局、職員用駐車場に停める前にタイヤがパンクして、駆けつけた副館長に対してふたりは曖昧に微笑むことしかできなかった。それは決してシガヤのドライビングテクニックのせいではないと明白なのだが「眷属がいる個体だから死体の運搬には気を使えと言っただろうが」と副館長は雑にトラロープで荷台に固定された回収死体を見て深い深いため息をついたのであった。