(ヤマヅ視点)
静かな男だ。
真道志願夜は、私といる時は。
否、私から動きを起こさない限りは。
目を伏せている黒髪の男は、他の回収員と居れば途端に騒がしくなることを知っている。
「真道志願夜」
声をかけると、肩を大きく震わせる。
話しかけられるとは思わなかったのだろう。
十時市魔神美術館の図説が音を立てて閉じられる。
「なんでショ」
さっきの驚いた様子を水に流して薄ら笑いを浮かべる。
図画を視認して何を考えていたのかは私からでは測りかねる。
人には人それぞれの傷みが在る。
「……。」
ところで私は、真道志願夜に呼びかけて何を言おうとしていたか。
反応を見てみたかっただけか。
そんな「呼んでみただけ」なんて、村主のような事を言えるか?
答えは否だ。
「……なんか居ました?」
こちらを警戒する眼。
しかし声には冗談を程よく混ぜている。
己の柔らかい部分を守りながら、他者に上手く混ざり込める軽快さ。
この若者が飢村教授に重宝されているのは、よく分かる。
「エ、無反応!? ひょっとしてさっき名前呼んだのって、オレの空耳だったりします?」
「呼んだのは確かだが、何を言おうとしたのか忘れてしまった」
「ええ~そんな歳じゃないでしょうまだ」
「そうなんだよな……」
私の返答を意外に思ったのか、言葉を続けようとした奴は頭を大きく動かしたのち態勢を戻した。
「冗談ですって」とでも言おうとしたのだろう。
それはこれまでも、何度も耳にした物言いだ。
「ああ……この間、軽トラをこすった件だが」
「エッあれっまだ何か手続きあるんすかね!?」
軽快だ。
この男は神に嫌われ続けなければ、こんな薄暗い匣に追いやられずに済んだのだろうか。
「総務部で賭けが行われているようだ」
「賭け?」
枕木巾来と異なり、真道志願夜が魔神に携わっていない人生が私には想像がつかない。
べたりとした影がこの男には貼り付いている。
「今月中に、惑羽一途と真道志願夜のどちらの運転で傷が多くつくか」
「くっそ、破損ゼロにしてそんな賭け成り立たなくしてやるかんな」
手元の資料を整えて離席の体勢をとる。
相棒に報告をしにいくのだろう、私から得た情報を。
「……これをやろう」
ポケットに入れたままにしていた、交通安全の御守りと厄除けの御守りを渡せば。
「副館長サン、いつもどっかに御守り入れてるよネ……」
少し引いた発言が返ってきた。
まだまだ有るが?
「まぁ『神主さん』直々の施しなら、他の御守りよりバフかかりそうだし。ありがたくもらっときまーす」
前半は皮肉に聞こえる。
後半は私には分からない。
ばふかかりそうってなんだ?
「それじゃ、失礼しまぁす」
図説をテーブルに放置したまま、真道志願夜は部屋を去る。
貴様の方が厄除けを持っておいた方がいいと、言い渡すのを忘れていた。
どうせ交通安全を自分の手元に、厄除けを相棒に渡すのだろう。
賭けてもいい。
ところで私を『神主』扱いする回収員は、この博物館では真道志願夜ぐらいのものだ。
互いに囚われているな。
了