「八汰の家は買い手がついたってねぇ」

 葬式から三日経っても、イチトの祖母・四泉は皇都から出ていかなかった。彼女曰く「都に入場できるのはもう私の余生では訪れないだろうから」、矍鑠とした声で告げる。

「庸一おじさんには助けられてます」
「ま、持つべきものは司法書士の身内だわよ」
 若者の集うカフェテリアの隅で、青年と老婆のふたりだけは陰気な空気。

「家は持ったままにして、いずれあそこに帰れば良かったんじゃないかい。あんだけ気合い入った家だったんだ。部屋は多いし、子供がいくら産まれても」
「広すぎました」
 祖母の言葉をイチトは遮る。彼はまだ、最後の家族、父・八汰の死から立ち直れていない。

「それに、もう売ったんです」
「勿体無いことをした」
「なんにせよ、過ぎたことだ」
「……あんたの飲み物”溶け”ちまうよ」
 祖母の指摘にイチトはゆるく首を振るばかり。長い名前のフラペチーノは季節限定のもので、しかし今のイチトが飲んでも味の仔細が掴めない。甘さがどろりと舌に絡む。言説を鈍くする。

「もっと早く此処に来るべきだったよ。そしたら八汰の生きてる顔も拝めたし、皇都の立派な街並みも拝めただろう」
「そうかもしれません」
「しかし皇都の人間は逞しいねぇ。瓦礫の上で下で、明かりをピカピカつけて商売やって」
 室内を風が駆け抜ける。カフェテリアの窓は割れたまま、しかし誰も気にしない。
「街はすぐ造りなおされるだろう。でも八汰はもう、しようがないね。親不孝もんだよ」

 どうせ生前の八汰も、母の四泉とは会いたがらなかっただろう。親戚間の奇妙な遠慮をイチトも心得ているので、あえて祖母に反論することはない。

「葬式の席であの子の友達から話聞いたけど。八汰は随分荒れてたみたいじゃあないか」
「そうかもしれません」
「あんたは父親みたいになるんじゃないよ」
「気をつけます」
「皇都警察をクビになったらこっちに戻ってきなしゃんせ。家も仕事も結婚相手も、ある程度は融通がきく」

 祖母の提案に、イチトは返答しなかった。それまでは雑に相槌をうって流していたにも関わらず。四泉もそれを分かっている。だから追い打ちをかける。彼女の注文したホットコーヒーのマグカップはとうに空っぽ。

「やることもなく皇都に残るのはだめだ。八汰みたいになってほしくないからね。都会は気楽だが、誘惑も多い。男は誘惑に弱いもんさ」
「しかしおばあさまも”誘惑”を楽しんでいたようで」
「経済復興に協力してやってんだよ! それにあたしのウインドウ・ショッピングを咎めるべき旦那はね、今ごろあの世で八汰からの人生報告でも聞いてるだろうさ」

 四泉はとうに乗り越えている。一途はまだその途中。言葉につまる孫を見て、祖母は小さく笑う。

「あんたも清澄さんに似てきたねぇ」
「……俺も父も、おばあさまに似ていると思いますが」
「ツラの話はしてないよ。雰囲気だ。あんたのお友達への喋り方聞いたよ。清澄さんがここに来てるのかとびっくりした」
「そうですか」
「あんたも八汰に続いておじいさまに会いに行こうなんて考えるんじゃないよ。次に会うのはあたしだからね」
「俺は死ぬ予定はありません」
「どうだかね」

 四泉の眼は諦めを映している。4人いる子のうち末っ子家族は『惑羽一途』を除いて全滅した。遠からず一途も”摘まれる”だろうと確信している。

「零次様の賽の目は偏りすぎだ」
 祖母の嘆きにイチトは強い反感を覚えたが、口には出さなかった。フラペチーノを一気に飲み干す。

「おばあさまは、いつまで皇都に滞在を?」
「これ飲んだら帰るよ」
「どこまで見送りましょうか」
「いらん、いらん。あんたに着いてきてもらっても、道中で説教するつもりしかない」
「では皆と、零次様によろしくお願いします」
 ”そう言う”慣わしになっているのでイチトは丁寧に頭を下げる。始祖によろしくなど、イチトは一切思っていない。

「あんたは10人産ませなきゃ、割にあわんかもね」
「今以上に曾孫が欲しいと!」
 露骨に厭そうな顔をする一途を見て、四泉ははじめて満足そうに笑った。
「確率は下げたいからね」

 死したほかのきょうだいは「はずれ」たと言わんばかりの言葉だった。それでもイチトは口答えしない。凪を保つ努力をする。

 どれにしようかなと選ぶ指、どこかの田舎の一族の奇妙な慣わしは断つべきで――それはこの国を襲う異界性侵略的怪異とは別に、イチトへ蟠りを残すものであった。